日蓮宗 本泉寺 伊丹とともに450年
日蓮宗 本泉寺 伊丹とともに450年

本泉寺について

二つの理念

形式にとらわれず、本来の仏様の教えに立ち返ります

仏さまの教えは「いかに良く生きるか」を説いた、生き方のガイドです。本泉寺はこの教えを皆さまと分かちあい、実践することを活動の軸としています。宗教的な因習などの表面的な形式だけを整えることには捕われません。

誰もが気軽に立ち寄り
安心できる場となります

お寺とは日常の慌ただしさからしばし離れて、誰でも仏様の前で心を安らげることができる場所です。本泉寺は子供から大人まで誰もが気軽に立ち寄り、ホッと安心することができる場になるように努めています。

本泉寺本堂

より開かれたお寺を目指し、
大改修中です。

やわらぎ保育園

境内には保育園。
子どもの声が響きます。

ヒップホップコンテスト

本堂は市民が楽しめる様々な催しにも
使われています。

ごあいさつ


「困った…」「どうしよう」
そんな時は本泉寺に一声おかけください

本泉寺住職 顔写真

世間では「お寺は敷居が高く入り辛い」「お寺に行っても疑問や不安の解決にはならない」と思われがちです。本泉寺は、まず出来る限り敷居を下げ門戸を開かせて頂きました。

ちょっとした「疑問や不安」があるとき「今更聞けない質問等ありましたら是非一度お越し下さい。
例えば

「従来の葬儀を執り行う必要があるのだろうか?」
「遠方に在るお墓や仏壇をどうしよう?」
「子育てで悩んでいるだけど?」


等々、職員一同、時には専門家を交えて全力であなたの疑問や不安を解決いたします。

我々は皆様方に「安心をお届けする
ことによって皆様方の生活向上を考えると同時に本泉寺を「伊丹市民の誇り」「心のふるさと」と親しまれるような寺院に発展させていきたいと思っております。

本泉寺住職 内藤経雄

歴史

本泉寺は永禄3年(1560)、伊丹の地に創立されました。戦国時代の只中、織田信長と今川義元との桶狭間の合戦があった年です。
戦国時代の武士の孤児である慈雲院日栖上人が、戦死者を弔う墓所に庵を立てたことに始まり、昔は中本山として4ケ寺の末寺を擁する大寺だったと伝えられています。
元禄9年(1696)には現在地に本堂を建立し、以来様々な火災、戦災を免れたこの本堂と共に今日に至るまで常に伊丹の人々と歩んできました。

境内案内


本泉寺

本堂

桁行19m、梁間12.5m。棟梁は昆陽村跡部太衛門尉宗令。元禄9年(1696)に当時の造り酒屋であった鹿島九郎左衛門によって当地に再建されたもので、火災、戦災等の難を逃れたため、市内に現存する木造建築寺院としては最大最古のものです。

本尊

本尊

宗祖日蓮大聖人が書かれた大曼荼羅を具現化した御本尊です。奥より南無妙法蓮華経のお題目を挟んで釈迦牟尼仏、多宝如来と四人の菩薩様がおられ、法華経に説かれている世界観を表わしています。四隅の四天王と前に鎮座されている日蓮大聖人も含めてお像は全て元禄年間(1687~)に作られたものです。しかし長い年月が経ち損傷が激しくなった為、現住職が日本のみならず世界的にも有名な仏師の松本明慶師に依頼して修復して頂き、制作当時の極彩色のお姿が復元されました。

開山上人

開山上人

開山上人と本泉寺中興の祖、江戸時代前期にご活躍された日隆上人をお祀りしています。開山上人は戦国時代の戦死者を弔うため、本泉寺を現在の地より100mほど西の地に創建されました。日隆上人は京都の大本山より入寺された方で、学識豊かな高潔な人物として評判になり、この伊丹の地で多くの人々が信徒となりました。

鬼子母尊神

寛保3年(1743)後西天皇の第十一皇女より寄進されました。以来当山は皇室の家紋である菊の御紋の使用が認められるようになり、現在においてもそれは額や法要時に使う幕などに記されています。鬼子母尊神は特に安産成就、そして子供の守り神として信仰され、人々を悪から遠ざけ幸せにする霊験あらたかな神様です。

釈尊涅槃図

釈尊涅槃図

貞享3年(1686)本泉寺落慶に際し、地元の檀信徒により寄進されたとされています。こちらの涅槃図は表装も入れると縦3.3m、横2mの大きさがあり、迫力がありながらも繊細な絵は見るものを圧倒させます。涅槃図はお釈迦様が入滅された時の絵で、お釈迦様への畏敬の念と供養の気持ち、そしてお釈迦様の教えの永遠性を表わしています。

妙見大菩薩

妙見大菩薩

安政6年(1859)開眼。元は境内内地に安置していたものを、より多くの皆様にご縁をもって頂けるように納骨堂「和音」の北の表通り沿いに移転しました。妙見大菩薩は北極星を神格化した神様で、古代中国より皇帝の星、星の王様として崇められています。そんな妙見様は人々を正しい方向に導き、開運成就の神様として今なお多くの人々から信仰されています。

楠公塚

楠公塚

楠木正成、正行親子は後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府や足利尊氏と戦い、最後まで天皇に忠義を貫いた武士の鏡として、昔より尊敬されています。
その為二人の墓は、伝説や顕彰のものも含めて全国に数基確認されています。当山の墓は天保年間(1830年代)の伊丹古地図にはすでに記されています。

納骨堂 「和音」

伊丹の街の賑わいの中心、酒蔵通りに面して建てられた永代供養納骨堂。明るく開放的な納骨堂は、「ご先祖をお墓にしまい込むのではなく、日常の暮らしの中に一緒にいてもらう」という理念を具現化したものです。

やわらぎ保育園

2016年開園。穏やかな「やわらぎ」の心を育むことを理念とし、子どもに寄り添い、育ちをゆっくりと支える保育を行なっています。