日蓮宗 本泉寺 伊丹とともに450年
日蓮宗 本泉寺 伊丹とともに450年
お寺だより
2024年11月22日

SNSよりお彼岸でつながろう!

本泉寺がFM伊丹で毎月第2・4土曜日にお送りしている「ラジオDEい~話」。9月14日放送回の概要をお届けします
そもそもお彼岸とは?
9月は秋のお彼岸の季節です。
お彼岸というと、お墓参りが習慣になっていますが、お彼岸とは本来、私たち生きている者の「修行の期間」です。
まず我々が修行して、仏様のような優しい心になるのが、お彼岸の目的です。
住職が子どもの頃は、おじいさんから「彼岸の最中に肉を食べるとは何事だ!」と叱られたそうです。
なにも考えずに義務的に習慣をなぞるだけでは「やらされてる感」いっぱいで、ただ苦痛です。しかしなぜその行事・習慣ができたのか、その理由を知ると、その行事を自分はどうすごしたいのかが見えてきます。
お彼岸の「中日」がわからない
お彼岸は修行の期間、と言いましたが、今や、お彼岸が一週間あるということも、知らない人が多いのではないでしょうか?
昔は普通に生活の会話で、「今日は彼岸の入り」(お彼岸の一週間の始まりの日)とか「今日はお彼岸の中日だからお墓参りに行こう」とか話していました。
今は春分の日、秋分の日として祝日となっていますが、それらが彼岸の中日であり、その前後3日間がお彼岸という修業期間であることは、もうかなり忘れられています。
仏教行事の究極の目的は「みんなで仲良く過ごすこと」
お盆やお彼岸など、日本には暮らしに密着した仏教行事が多数あります。
それぞれ、やることは違いますが、最終的な目的は同じで「みんなで仲良く過ごすこと」です。
お盆、お彼岸は、普段あまり会うことのない人々が一緒に食事をして仲良く過ごし、縁を深める役割を果たしています。
何でもないようですが、実は、「人が仲良く集うこと」は、この世の中で何よりも大切なことであると、いくら強調しても強調しすぎることはありません。
親戚付き合いや、地域の付き合いのない無縁社会が、今、広がっています。
しかし、悲しい時、つらい時、困った時、そして、平凡な毎日でさえ、
私たちの心を支えてくれるのは、お金でもSNSでもなく、人とのつながり
です。


>YOUTUBEで放送を聞くことができます。コチラからどうぞ!
画像:孤独と孤立の時代、SNSよりお彼岸でつながろう

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