本泉寺がFM伊丹で毎月第2・4土曜日にお送りしている「ラジオDEい~話」。今回(12月23日放送)は今年お話してきたことの総まとめ。
1回の放送にエッセンスが全て詰まった、濃い内容になっています!
概要のみ、以下に文字で記載します。
youtubeでお聞きいただけますので、ページ下部のリンクからぜひお聞きください。
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放送の概要
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質問:お葬式や法事をする意味は?なぜこういう大変なことが必要なんですか?
回答:葬儀や法事は、やりたくなかったらやらなくていい、というのが本泉寺の考えです。
「亡くなった方のために、何かしてあげたい」と思うのであれば、それを実行するのが一番良い形です。
お葬式をするというのは、お釈迦様や宗祖が決めたわけではありません。
亡くなった人のために「こうしてあげたい」という優しい気持ちが段々と形として整えられてきたのです。なので、一番重要なのは「気持ち」です。それを表現する方法は時代に応じて変えていったら良いでしょう。
その「気持ち」を作る方法がお経の中に書いてあります。
「1周忌、3回忌等の法事をしないといけないか」と尋ねられることがあります。
しないといけないわけではありません。してあげたいかどうか、です。
このような質問が出るということは、その人が「法事をして、お経だけ聞いても意味がない」と思っているからでしょう。
それは我々僧侶がちゃんとお経を説明していないことに原因があるでしょう。
法事は、お経を呪文として亡くなった人に聞かせるための集まりではありません。
亡くなった人(ご先祖)は我々を心配して上から見守っていると考えてください。
そうすると、生きている我々はご先祖に感謝し、心配をかけないように生きねばなりませんよね。
どのようにしたら心配をかけずに良くいきられるのでしょうか?そのお手本となるのが仏教の場合は「仏さま」です。仏さまを手本として生きれば良いのです。
宗派は違っても仏教の目指すところは同じです。
「慈悲の心を身に着けること。すべての生き物に対して慈悲の心を持つこと」です。
それにより、我欲が抑えられ、みんなで仲良く生きられるようになります。
そういう姿を見せてあげるのが本当の供養。法事の後にみんなで一緒に食事をするのはそういうことなのです。みんなで仲良くしている姿をご先祖に見せ、安心してもらう。それが法事であり、供養です。
「法事は何回までしたらいいですか?」とか、「しないといけませんか?」と訊かれる事もありますが、これはおかしな質問ですね。
生きている限り、毎日を法事的に生きたら良いのです。
最近は葬儀や法事が産業化して、いかに儀式を安く買えるか、という話になってしまっています。
儀式とはそんなものではありません。
逆に、お金をかければよい、というものでもありません。
みんなで集まるだけで儀式になります。形は時代によって変えてもいいのですが、捨ててはいけないものはあります。
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